日本人なら、誰もが当たり前のように歌ってきた日本の国歌・君が代。この君が代とお墓が大きく関係しているってことを、みなさん知っていましたか?
君が代は日本という国を象徴する歌ですが、そこで歌われているのがお墓なのです。
国歌は、「おれたちは日本人だよな」という共通認識を持つために作られているのであり、「そうそう、おれたちって日本人ってこんなやつらだよな」と納得できる歌詞でなければなりません。いわば、その国や国民を象徴する歌なのです。
そんな君が代には、日本人の根っこにある精神性と美意識が歌われますが、それを表すために描かれているのが、「石」と「苔」なのです。君が代に見るお墓の真髄を詳しく解説していくので、ぜひとも読み進めてみてください。
目次
君が代の歌詞をひもとく
まずはここで改めて、君が代の歌詞をひもといてみましょう。
君が代は 千代に八千代に さざれ石のいわおとなりて 苔のむすまで
いかがでしょうか? わかりましたか?
君が代は、前半部では「あなたの命や存在がいつまでも続いていくように」という願いや祈りが歌われ、後半部ではその想いを石と苔でたとえられているのです。
なんとなく分かるのだけれど、それでもいまいち分からないという人のために、現代語に訳したものをつけてみました。
君が代は → あなたの命や存在は 千代に八千代に → 千年も八千年もの長く さざれ石のいわおとなりて → 小さな石が積み重なって大きな石となり 苔のむすまで → さらにその石に苔が付くまでに
こうして見ると、「いつまでもいつまでも」という時間が長く続いていくことの祈りと、相手への思慕が歌われていることが分かります。
日本人の精神性とは、大切なあなたの存在が、そしてあなたとのつながりが、いつまでもいつまでも続いていてほしいという「世代を超えた命の連続性」にこそあるのです。「千代に八千代に」という長い時間を意味する表現からも、そのことが分かりますよね。
そして、それを表現するために持ち出されたのが、石と苔。つまり、お墓なのです。
石と苔はなにを表しているのか
「さざれいしのいわおとなりて」
君が代で一番分かりづらいのがこのくだりです。ここを理解すれば、君が代の意味がスッとあなたの中に入ってくるでしょう。
「さざれ石」というのは小さな石という意味です。「細石」とも書きます。
実はさざれ石は日本中の神社にあります。しめ縄を巻いて大切に祀られているほどです。
このさざれ石。長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることで、一つの大きな岩の塊に変化したものなのです。
小さな石が長い年月をかけて大きな岩になる。その岩に苔が蒸すのですから、一体どれほどの長い時間が必要なのでしょうか。
君が代の中の石と苔は、まさに「いつまでもいつまでも」という悠久の時間を象徴しており、ここにこそ、日本人の死生観や美意識が歌われています。
物理学者にして俳人の寺田寅彦も、日本人の美意識の概念である「わびさび」を代表するものとして石に生える苔を挙げたとも言われています。
苔を愛でるのは世界中を見渡しても日本人だけだとも言われていますし、伝統工芸や伝統芸能など、「伝統」を好むのも日本人の特徴。それはまさに、長く続いているものに安心し、信頼を寄せるという日本人の特性ゆえなのでしょう。
ずっとそこにい続けてくれるお墓だから安心できる
お墓というのは、亡くなった家族や私たちのご先祖様をお祀りする場所です。いわば、「世代を超えた命の連続性」を感じる場、向き合う場であるのです。
石は古くから永遠性の象徴として扱われてきました。それは、自然界にあるどのようなものと比べても、強固で堅牢であるからに他なりません。つまり、ずっとそこにい続けられるのです。
明治以降、日本にも「個人主義」という考えが広まりますが、しかし明治以前の日本人たちは、自分の存在を、自分の生まれてから死ぬまでの間で捉えてなんていませんでした。
自分たちの命は自分たちが生まれる前から続いていて、亡くなったあとも続いていく。
先祖や子孫とのつながりを感じながら、今を生きたのです。
石は千年も万年も、そこにい続けられます。硬い石に文字を刻み、自分が生きた証をそこに残すのです。それだけ日本人は、ご先祖様を大切にしている民族なのだと言えます。それはもう、頭で考えることではなく、細胞レベルのことなのです。
私たちはお墓参りをする時に、何の疑問も持たずに、亡くなった家族やご先祖様に手を合わせます。
石の中におじいちゃんおばあちゃんがいる。ずっとそこにい続けてくれるお墓だから、安心できるのです。
いつまでもいつまでもそこにい続けていてくれるお墓だからこそ、「いつまでもいつまでも」と祈ることができるのです。
君が代は、千代に、八千代に。