樹木を墓標にした樹木葬、海や山に粉末状にした遺骨を撒く散骨など、人の手を介さずに自然に接した場所に埋葬することを自然葬と呼びます。この自然葬。ことばはとても耳ざわりがいいものですが、定義がとても曖昧な上、この呼び名の中には墓石に対する批判が見え隠れします。しかし、私たち墓守の会は、その「自然葬」ということばの中にこそ、まやかしがあるのではないかと考えます。
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埋葬と礼拝 自然葬は2つの意味で自然的。だが…
自然葬とは、2つの意味で自然的な葬送を目指しています。埋葬と礼拝です。
埋葬とはつまり、要は遺体をどう処理するかということ。現代の日本では99%以上の割合で火葬されるので、「遺骨の処理」と言い換えてもいいでしょう。埋葬が自然的に行われるというのはつまり「遺骨を山や海などの母なる大自然に還そうね」ということです。それは裏を返すと「お墓だと遺骨は土に還らないよね」ということをもの語っています。
もう一つが礼拝。自然葬では山や海などの大自然を礼拝の対象とすることを目指しています。その最たるものが散骨ですし、里山を墓地とし、樹木を墓標にした樹木葬もこれに含まれます。こうした考え方にも、人の手によって作られた構造物である墓石に対しての批判が見られます。
たしかに聞こえはいいと思います。私たち人類は本能的に大自然から頂いて大きくなったこの身体を大自然に還そうと思います。また、昨今の自然環境保護への意識の高まりから自然葬が支持されるのもうなづけます。
しかし、ここで声を大にして言いたいのは、「では墓石では死者の遺骨は自然に回帰しないのか」ということ。そして「人の手によって作られた墓石がそんなに悪者なのか」ということです。
墓石を建てても人は自然に回帰する
『広辞苑』(第5版)には「風葬・散骨など、死者の遺骨が自然に回帰するような葬り方」と記載されています。
自然に回帰するという点では、実は風葬や、散骨だけでなく、墓石も同じです。なぜなら墓石の下で遺骨は土に還るからです。
遺骨を納める場所を「カロート」と呼びます。カロートの構造は地域によって異なるのですが、「墓石だと遺骨が土に還らない」と考える人は、このカロートの中に並ぶ骨壷の姿を連想するからでしょう。
たしかにこのままでは遺骨は土に還れませんが、最終的には遺骨を土に還せる構造になっています。カロートの底部が土になっており、骨壺から遺骨を出して土の中に埋葬します。どんな方法を選ぼうとも、私たちの遺骸や遺骨を大自然の循環の中に還していくシステムができ上がっているのです。
墓石だから大自然に還れないという決めつけは「NO!」なのです。
埋葬とは別に、礼拝の場所も自然的な方がいいという風潮が見られます。ここには「墓石は悪者だ」という想いが見え隠れします。しかし果たして墓石は本当に悪者なのでしょうか。また、自然的な礼拝とはいったい何なのでしょうか?
この続きは次回。自然的な礼拝と、墓石は本当に悪者なのかについて綴ってまいります。