墓守コラム

従来のお墓が自然葬の極み自然葬ということばのまやかし Part2 墓石は悪者どころかあたたかい

自然葬という聞こえのいいことばの裏には、墓石への批判が見え隠れします。ライフスタイルの変化に合わせて人々の宗教観や供養の在り方も変わります。新しい葬送そのものは何も悪いことではありません。

しかし、長らく私たち日本人が用いてきた墓石による供養を「お金がかかる」「手間がかかる」などの理由から遠ざけるのは、とても危険です。

この記事では、自然葬という観点と用いて、墓石の本質について迫ってみます。果たしてお墓はそんなにも悪者なのでしょうか。

墓石が悪者になってしまった理由

墓石のイメージは、特にバブル崩壊後に悪くなりました。

高度経済成長やバブル経済に湧く戦後の日本は、空前のお墓ブームでした。日本中のあちこちに大規模霊園が作られ、一家にひとつのお墓を建てて、ご先祖様を供養したのです。

日本人は戦争で多くの人を失いました。戦後復興で経済的に裕福になった時に、その家族たちがお墓を次々と建てていったのは、ある意味では弔いの悲願をかなえていったともいえるでしょう。

しかし、1990年代頃から、バブルの崩壊による景気の低迷、少子高齢化によるライフスタイルの変化、こうした社会全体の価値観の転倒に合わせて、墓石を敬遠する人が増えてきたのです。

日本人のあたたかい供養の心を託すのに、石に勝るものはない

墓石

しかし、故人さまやご先祖様に会うための場所として、最も適しているのは墓石です。雨や風にも動じず、何百年とそこにい続けられるからです。世代を超えた先祖のつながりこそが日本人の死生観、宗教観ですが、これを確認できるものとして、石に勝るものはありません。

遺骨を海に撒いてしまうと、手を合わす場所がなくなってしまいます。故人さまに手を合わせたいと思ったときに、どこに行けばいいのでしょうか。海であればどこの海でもいいのでしょうか。

どこにいったか分からない不確かな故人さま。それは言い換えれば故人さまを想う私たちの心も不確かだということです。ふわふわとどこかに行きがちだということです。だからこそ、そこにドンっと、何事にも動じずにずっといてくれる墓石に、私たちは安心できるのではないでしょうか。

自然葬がダメだとは言いません。従来の墓石も、いまの時代に合わなくなってきている点がたくさんあります。昨今の話題の「サスティナビリティ(持続可能性)」という観点から、墓石はさらに人や環境に優しい形へとアップデートしなければなりません。

だけど、そこまで墓石は悪者じゃありませんよ。

お墓は、亡き人と出会えるあたたかい場所。人の手によって埋葬された場所に、人の手によって作られた墓石を据える。人の手のぬくもりが感じられる場所なんです。日本人のあたたかい供養の心を託すのに、石に勝るものはない。墓守の会は断言します。

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