墓守コラム

幸福な祈りに必要なのは「形」。「祈る心」は頼りにならない だからお墓が大切です

「お墓は小さくてもいい」「お墓なんていらない」など、お墓に否定的な人たちには、ある共通する口癖があります。

「大事なのは、祈る心だ」

心や気持ちといった、目には見えない亡き人への想いが大切なのは言うまでもありません。立派なお墓だけ用意しても、中身がなければなんの意味も成しませんし、形だけ整えたところで心が伴っていないと、故人さまやご先祖さまも喜んではくれないでしょう。

しかし一方で、「大事なのは、祈る気持ちだ」という言葉を利用して、お墓などの礼拝のための「物」を軽視する人たちは、それはそれで「心」というものを過信しすぎているのだと思うのです。目に見えない「心」と形ある「物」。その両方が大切なのですよというお話です。

人間の心ほど信用できないものはない

「女心と秋の空」なんて言いますが、移ろいやすいのは何も女性の心だけではありません。そもそも人間の心というのは移ろいやすいものなのです。仏教には「諸行無常」ということばがありますが、この世のすべてのものは移ろいます。心となると、実体がないですから、なおさら移ろいやすいことでしょう。

私にだって経験があります。両親の入るお墓へは定期的にお参りしてますが、やはり毎日の仕事や生活が忙しいと、ついつい日常に追われて、ご先祖さまを思い返すことなんて忘れてしまっています。人間って、きっとそういうものなんです。

だからこそ、そこに亡き人がいることを表してくれるお墓がある方がいいのです。私たちはお墓参りに来ると、その中に眠る人のことを思い出します。それは言い換えれば、普段の日常生活の中で、多少故人さまのことを忘れても構わないということの裏返しなのです。「多少忘れてもいいんだ」と言われると、なんだか少し、安心しませんか?

物も心も、両方大事

祈る心

武道には「形から入って、心に至る」という言葉があるそうです。とっても素敵な言葉ですよね。人間が自分の心をコントロールすることの困難を知っているからこそ生まれた考え方なのです。

剣道にしろ、柔道にしろ、華道にしろ、茶道にしろ、武道や芸道などの世界ではまずは「形」を叩き込まれます。仏道もそうでしょう。いきなり「悟りとは、ホニャラララだ!」なんて言っている若僧はきっと馬鹿にされます。祈祷の所作、お経の節回し、座禅の姿勢、こうした「形」を会得しながら少しずつ「心」が整っていくのでしょう。

亡き人を祈る心は大切です。しかし、私たちが思っている以上に私たちの心はもろく、頼りになりません。しかし、それをそのまま放置しておくのではなく、だからこそ、きちんと亡き人やご先祖さまを思い出す場所をこしらえていた方がいいのだと、私たちの先祖は知っていたのです。大昔からお墓が作られてきたのはそのためです。

大事なのは祈る心。それは間違いありません。しかし同時に、亡き人へ馳せる心を託せる場所、目で見て手に触れることのできる場所として、私たちにはお墓が必要なのです。

そこには、「亡き人や祖先と共に生きることが私たちにとって幸せである」という、人類共通の確信があります。どんなに小さくても、安くても構いません。大切な故人さまの冥福と、この世に生きる自分たちの幸福のために、お墓をひとつこしらえましょう。

支援内容

継承問題・管理問題・お墓参り問題を一緒に考えます。

お問い合わせ

お墓がある地域に合わせたご対応をさせて頂きます。
どんな小さなご相談・お悩みも是非一度お聞かせください。

Scroll to Top