終活の現場でよく聞くことばに「子どもに迷惑かけたくない」というものがあります。たしかにその想いはよくわかるのですが、長い長い目で見たときに、親が子から弔いの機会を奪ってしまうことは、その家にとっても社会全体にとっても、大きなマイナスとなってしまうのです。墓守の会が、このパワーワードをぶった斬ります。ちなみに私はアラフォーです。子ども側の人間です。親の弔いは迷惑なんかじゃありません!
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「子どもに迷惑をかけたくない」という親の心理
子どもに迷惑をかけたくない。こう考える親のみなさんの気持ちはよーく分かります。
なぜ親世代が弔いを「迷惑だ」「子どもたちの迷惑になる」と考えるのか。それはきっと、自分たちが親の弔いで大変な苦労をしたからです。
●都市への移住
団塊の世代といわれる人たちは、若い時に大学への進学や集団就職などで故郷を離れて、都市部に移り住みました。若い時はいいのですが、親が高齢になったり、亡くなってしまった時に、介護や供養などの面で遠距離を往来しなくてはなりません。これは大きな負担です。
●高度経済成長から深刻な不景気へ
1980年代ころまでは好景気の社会の中で生きてきたのですが、90年代以降は深刻な不景気に襲われることとなります。自分たちが親を見送らなければならなくなった頃には経済的な余裕がなくなり、負担として大きくのしかかります。
●左翼へのシンパシー
1960年代には若者たちによる反体制運動が盛り上がります。伝統や承継などの保守的な考え方を否定する左翼的な思想にシンパシーを感じる人が多い世代です。つまりこの世代の人たち自身が自分たちの親世代の文化を否定していったという過去があります。だからこそ、子が親をみることに対してネガティブな想いを持ってしまっているのでしょう。
こうした背景から、今の親世代の人たちが「子に迷惑をかけたくない」と考えてしまう気持ちはよく分かります。
子どもにとって、親の弔いは本当に迷惑なのか?
さて、ここでひとつとても素朴な疑問なのですが、子どもにとって親の弔いは本当に迷惑なのでしょうか?
実は、子の方はきちんと親を見送りたい、弔いたいと考えているのですよ。そう考える若年層がたくさんいるということを、鎌倉新書のアンケート調査が示しています。「子どもに迷惑をかけたくない」と考える親世代が95.1%なのに対し、「親から相談されても迷惑だと感じない」と答えた子ども世代は88.7%にもなります。
引用:株式会社鎌倉新書「自身の終活に関する意識調査」(2017年12月)と「親の終活に関する意識調査」(2018年11月)の結果の比較
つまりこれ、親が一方的に「迷惑だ」って考えているだけで、終活をめぐってきちんと親子で会話できてるか?って話なわけです。
自分の供養は自分ではできないという人類共通の大前提
こうした世代間の想いの交錯があるものの、大前提を忘れてはいけません。つまり、自分の供養は自分ではできないということです。
供養だけではありません。介護も、葬儀も、相続も、人は生きていく上で、死んでいくときも、亡くなったあとも、誰かの手を借りなければ生きていけないのです。そもそもが「迷惑」な存在なのです。
子どもに迷惑をかけたくないという気持ちは、子を想うための親心であることはよく分かります。しかし、必ずしも子どもが親の面倒を見ることを迷惑だとは思っているとは限らないのです。ですから、まずは親子間で話をしましょう。
そして、その時に必ず問題となるのがお墓。お墓の問題にぶち当たった時にこそ、私たち墓守の会を頼ってください。いまあるお墓をわざわざ解体して、新しいお墓を買い直す。そんなバカみたいな面倒臭いことをしなくても、いまあるお墓を守りつづける方法はたくさんあります。お墓を守るとはすなわち、家族のつながりを守ることに他ならないのです。
「子どもに迷惑をかけたくない」という想いは、「子どもに幸せであってほしい」の裏返しに他なりません。その想いを、私たちは守りたいのです。