「お掃除がたいへん」とはよく聞く言葉です。お墓掃除はたしかに大変です。しかし、お墓から掃除をとってしまうと、何も残らないと言い切っていいほどに、お墓掃除は大切なのです。
お墓をきれいにすることで、自分の中の心も洗われていく。黙々と墓石を拭く時間が、自分自身と向き合うきっかけにもなる。どう考えたって、お掃除のないお墓ほど空疎なものはありません。あなたのお墓を幸せを呼ぶ場所にするためには、お墓掃除こそが必要不可欠なのです。その理由を語ってまいります。
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浮かぶのは 笑顔ばかりの 墓参り
毎年、仏教伝道協会が行っているお寺掲示板大賞。2020年の大賞ほか、各章が用意されていましたが、「笑い飯哲夫賞」に選ばれたのが、【浮かぶのは 笑顔ばかりの 墓参り】というものでした。
漫才師の笑い飯・哲夫さんも、幼い頃のお墓参りは楽しいものだったらしく、これは私も全く同感です。みんなでお墓をきれいにして、お線香に火をつける。家族や親戚とのつながりを感じられますし、自分たちをつないでくれているご先祖様に向き合えるお墓参りを、日本人は当たり前のように大切にしてきたのです。
お墓参りは、掃除・お供え・礼拝の3部構成
お墓参りは、掃除とお供えと礼拝の3つが揃ってはじめて意味をなします。お掃除は、お墓参りにとってとても大切なものなのです。
●掃除
雑草を抜く、墓石を拭く。こうした行為を通じて、自分の中の心が洗われます。目の前の雑草を一本一本その手で抜いてきれいになっていく様子を見て、水垢で汚れていた墓石をその手できれいに拭いて輝いていく様子を見て、私たちの心も、きれいに、輝いていきます。
●お供え
お墓をきれいにすることで、はじめて私たちはお供え物を置くことができます。お供え物はその場を明るく華やかな清浄な場にしてくれます。ローソクの灯りをあたりを照らし、お線香の香りがその場の空気を清め、花立に活けられたお花が私たちの心を華やかにしてくれるのです。
●礼拝
まずお墓をきれいにして、それからお供え物を並べて五感を清浄にし、ようやく心を落ち着けて礼拝ができます。手を合わせ、ご先祖様とともにいることを感謝しましょう。
掃除のないお墓参りのつまらなさ
掃除のないお墓参りはとっても浅く、つまらないものです。
たとえば食事の席を考えてみてください。どんなに美味しい料理を作ったとしても、食卓やお皿が汚れていたら台無しですよね。だから、食器はきれいに洗っておくし、食卓はきれいに拭いておくのです。
女性のお化粧も同じですよね。よごれた肌の上にいきなりファンデーションなんて塗らない。まずはクレンジングしてしっかりお肌の汚れを落として、そこから化粧を施して、大好きなあの人とのデートにお出かけするのです。
ご先祖様と楽しく語らいたい。心を落ち着けて静かにお参りをしたい。いろいろな想いを持ってお墓参りされると思うのですが、いずれにせよ、まずはお墓掃除。これをすることで、あなた自身もご先祖様も喜ばれるのです。お墓掃除それ自体が、もはや供養なのではないでしょうか。
「お掃除不要」を推すことの危険性
最近は納骨堂や樹木葬などが注目を集めており、「お掃除の負担が軽減!」なんていうキャッチコピーが踊ります。こうしたコピーが受けるのは、当然消費者側に「お墓掃除、めんどいな」という心理があるからです。
しかしそこにはお墓参りの本質が抜け落ちてますし、石材店やお寺は消費者の都合のいいニーズにばかり迎合しています。墓石や供養の専門家が、「お墓掃除がなければお墓ではないぞ」くらいの勢いでその本質を伝えなければならないのに、この体たらく。大変危険です。お寺や石材業界が拝金主義と言われても仕方ないでしょう。
もう一度言います。お墓参りの本質。それは、掃除とお供えと礼拝が揃ってはじめてお墓参りが意味をなす、ということです。この3つが揃うことで、お墓は幸せを引き寄せるパワースポットになります。お掃除不要のお墓は、便利ではあるがありがたみがない。片手落ちの印象が否めません。
お墓掃除は大変かもしれません。でも大変だからこそひとりではなく、ひとりでも多くの人たちと「みんなで」行うことをおすすめします。そうすることでお掃除そのものも楽しくなるし、大変だからこそありがたみも増すというものです。