墓守コラム

『鬼滅の刃』に見る大正時代のお墓 ー 石屋さんが語る『鬼滅の刃』お墓ガイド(2)

 『鬼滅の刃』では、人と鬼がたくさんの死闘を繰り広げ、多くの隊士たちが死を遂げます。生き残った者たちはきちんと仲間たちの亡骸を埋葬するのですが、私は、大正時代を舞台にした『鬼滅の刃』のお墓の描写を見て、その考察の深さに感心しました。『鬼滅の刃』が描くお墓の世界をご紹介いたします。

お墓の描写は全部で11箇所

全23巻に及ぶ『鬼滅の刃』の中で描かれるお墓の数は、おまけページを含めて全部で11箇所あります。

お墓の描写はその大半が鬼との戦いを終えたあとに描かれています。生き残った鬼殺隊のメンバーが亡き仲間たちの亡骸を埋葬するのです。死者をきちんと埋葬供養してから、物語を次のステージへ移していく。作者の吾峠呼世晴さんは、通過儀礼としてお墓を描いたのです。

土まんじゅうのお墓「塚」

 現代を生きる私たちは「お墓」と聞けば墓地に並ぶ石のお墓を連想します。しかし実際には亡き人を葬り、手を合わす対象となった場所こそが「お墓」なのです。

 また、いまでこそ日本の火葬率は99.99%を誇りますが、かつては土葬の方が多かったのです。鯖田豊之『火葬の文化』(新潮選書)によると、明治33年の火葬率は29.2%だそうで、かつては土葬が当たり前のように行われていました。

『鬼滅の刃』では、そうした時代背景と状況設定にあわせたお墓の描写がなされています。

 土まんじゅうのお墓のことを「塚」と呼びますが、全23巻のうち、11箇所あるお墓の描写のうち、塚が7箇所、墓石が4箇所でした。もしも大正時代に戦地で死んだ人たちがどのように葬られるかを、丹念に想定していることが分かります。

 かつての土葬のお墓では、もちろん地域によって異なりますが、「土まんじゅうに墓標」が基本です。墓標には自然石が用いられました。つまり、土と石が、お墓の原型なのです。

それ以外にも、魔除けのための風習も各地で見られます。

たとえば、土まんじゅうの上に草刈り鎌を置きました。葬儀の時でも遺体や棺の上に載せる刀のことを「守り刀」といい、いまでも見られる魔除けのための風習です。

 また、玉垣も野犬が墓地を荒らさないことを目的にしたと言われています。現代のお墓にも見られる玉垣の原型は、古い土葬のお墓でも見られたのです。

民俗学的に裏付けされた鬼滅のお墓

 私が一番いいなあと思ったコマは、15巻128話『ご教示願う』の表紙で描かれるお墓です。

土まんじゅうのまわりをそのあたりに転がっていた自然石で囲み、頂きに一番大きな石を置く。これは、周りの石が玉垣で、頂きの石が墓標の役割を示しています。さらには、亡くなった隊士の刀が置かれ、お供えの野花が添えられている。

 民俗学者の岩田重則さん『「お墓」の誕生ー死者祭祀の民族誌』(岩波新書)によると、山梨県などの地域では、土まんじゅうの上に自然石と草刈り鎌を置き、周りを竹で作った玉垣で囲んでいたのだそうです。つまり、隊士の刀と草刈り鎌も、石の囲いと竹垣、ともに民俗学的な裏付けがなされているものなのです。

 作者の吾峠呼世晴さんは、作品の中で丹念に死者を供養する意図を持って、これだけお墓の描写にこだわったのでしょう。

 仲間たちの亡骸を埋葬して、鬼殺隊たちは次なる戦いへと進んでいきます。私たちが力強くこの世界を生きていくためには、埋葬供養は欠かせない通過儀礼であることを、『鬼滅の刃』の刃は教えてくれるのです。

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