お仏壇と聞くと「仏さま」が祀られているということはなんとなくイメージできると思いますが、では「仏さま」とはいったい誰のことなのでしょうか?
実はお仏壇の中には2つの「ホトケ」が祀られているのです。詳しくお話ししていきましょう。
目次
2つのホトケ ご本尊とご先祖様
2つのホトケとは、ひとつがご本尊。もう1つがご先祖様です。
ご本尊とは、仏教の中の仏様。仏教には数多くの仏様がいますが、仏壇に祀られるご本尊は、宗旨によって異なります。真言宗だと大日如来、禅宗だと釈迦如来、浄土系だと阿弥陀如来といった具合です。さらに両脇には水戸黄門の助さん角さんのように、脇仏が祀られます。仏壇の中でご本尊は、仏像や掛け軸に描かれた絵で表されます。
そしてもうひとつ大切なホトケさまが、あなたのおうちのご先祖様です。日本ではながらく、亡き人は49日でホトケとなり、33年かけてその地域の氏神になるという土着の信仰を持ってきました。あなたの両親や祖父母といったご先祖様は、位牌という形で表されます。
本尊なし。位牌が9基並ぶお仏壇
こんなことがありました。
とあるお客さまのおうちを訪問した時のことです。まずはじめにそのおうちのお仏壇を拝ませていただきました。お客様にお許しをいただき、お仏壇の前に正座し、ご本尊さまを見上げた時でした。そこにあるべきはずのご本尊がおられない。
「〇〇さんのおうちの宗派はどちらですか?」
「真言宗です」
だとすると、中央には大日如来、右に不動明王、左に弘法大師。この並びが基本的です。たまにお寺やおうちの方の事情で、他の仏さまが入られていることもありますが、そのお仏壇の中にはどこを探しても仏さまのお姿がないのです。
そして並ぶのは位牌、位牌、位牌! なんとその数9基。話を聞いてみると古いものは江戸時代にまでさかのぼるとのこと。
「真言宗のお仏壇には大日如来さまが祀られるんですよ…」とほのめかしてみても、「そうですか、うちはずっとこの形です。お坊さんも毎年お盆にお参りに来てくれていますが、何も言われないですよ」と、特段違和感を感じられていませんでした。老婆心からご本尊のお祀りを勧めてみても「いやいや、うちはそんなに信仰心があるわけじゃないんで…」と、いまのままで何の不足もないようです。
「信仰心がない」と言いながら先祖供養に厚い日本人
さて、このお話には日本人の宗教観や死生観を示す2つのポイントが隠されています。
ひとつは、希薄な信仰心と仏事への無知です。
お仏壇は文字通り、「仏さまを祀る祭壇」です。ですからそこにはご本尊(=仏教で語られる仏さま)がいなければなりません。でも、最も大事な部分が抜け落ちても、なんとなく仏壇はそこにあるし、ご家族は違和感なく手を合わせてしまっているのです。信仰がしきたり化しているいまの日本の宗教観をよく表しています。いわゆる形骸化です。
では、そのこと自体が悪いことなのでしょうか。たしかに「よい」とは言えないかもしれませんが、「悪い」と断定することもできないのではと私は思います。それこそが次の2つ目のポイントです。
2つ目のポイントは、ご本尊はいないのに、ご先祖様への供養はとても手厚く行っているということです。
位牌が9基、昨今のおうちではなかなか見られない光景です。
「9つも並ぶと、誰が誰やら分からなくなっちゃいます」
「お花が枯れるのが大変で、イヤになっちゃいますよ」
このように本音をさらりと語るような方なのですが、そこにご先祖さまとの親しさが感じられます。うやうやしく礼拝するのではなく、両親やおじちゃんおばあちゃんと接するように、お仏壇の中にご先祖様がいる。この方にとっては、それで充分なのです。
日本人にとって「仏さま」とは、仏教が語るご本尊とご先祖様の両方を指し、お仏壇ではその両者を祀ります。ただ、多くの方はご本尊のありがたさよりもご先祖様と親しむ場としてお仏壇に向き合っているのではないでしょうか。
信仰心がなく、無知でもお仏壇が祀れる。その奥には、日本人の肌にしみ込んだ先祖供養という営みがある。このたびのエピソードはその両面を表しているように思います。
そして、もう一つ付け加えるなら、「お坊さん。しっかりしなさい!」ということです。あなたのお檀家のお仏壇の中にご本尊がいないまま数十年。こんなことしてたら、「寺離れ」なんて言われても、仕方ないですよ。