『鬼滅の刃』ではさまざまな場面でお墓が描かれます。ただ墓石が描かれるだけでなく、主人公の竈門炭次郎(かまどたんじろう)をはじめとする遺された側の人間たちが手を合わせているシーンも丁寧に描かれています。
そんな『鬼滅の刃』って、家族のお墓参りに始まって、家族のお墓参りに終わっていること、お気付きでしたか?
目次
物語は、埋葬から始まる
『鬼滅の刃』は、死者の埋葬から物語が始まります。
第1話で、いきなり鬼の急襲にあい、主人公の炭治郎と妹の禰豆子は、命を落とした家族たちの埋葬を終えてから生家をあとにしています。
鬼に家族たちを殺され、その上、妹を鬼にさせられ、挙げ句の果てには冨岡義勇という謎の剣士と対峙させられる炭次郎。
何が何だか分からないまま、とにかくまずは愛する家族の亡骸を土に還してあげることが先決です。墓石もなければ、死者への手向けでもあるお供えのお花もない。それでもまずは亡骸を放置せずに土の中に埋める。太古の昔から人間が行ってきた葬送の原型がここに見ることができます。
死者をきちんと埋葬することで、残された者は死者なき新たな世界を生きていけます。
炭治郎は、家族を土に還してはじめて剣士としての道を歩みます。それはまるで、カピラ城から出家した若き日のお釈迦様のようでもあります。
慈悲と慈愛に充ち溢れる炭治郎は、まるで菩薩様のようであるとは以前の記事で書きましたが、菩薩道としての物語は、家族たちの埋葬から始まるのです。
全23巻にわたる『鬼滅の刃』。家族たちの埋葬から始まった炭治郎たちの物語はお墓参りのシーンで幕を閉じます。鬼舞辻無残を打倒したのち、彼らは鬼殺隊の同僚たちの共同墓地へ、そして生家のほとりに埋葬された亡き家族たちにお墓参りをするのです。
生家に戻ってきて、亡き家族やご先祖様のお墓参りをする。こうして鬼殺隊としての物語はここで終わります。
しかし、『鬼滅の刃』のすばらしいところはこれだけではありません。物語の最後のエピローグとして205話の「幾星霜を煌めく命」は、時代が大正から21世紀の令和にまで一気に飛んで、現代を生きる炭治郎たちの子孫の姿が描かれています。
『鬼滅の刃』が私たちに伝えてくれるものはたくさんありますが、最も重要なのは、私たちの命がみんなにつないでもらっているということ。それを次の世代にもつないでいくことではないでしょうか。
それは、最後のお墓参りのシーンで語る炭治郎のこの言葉に集約されます。
「みんなに繋いでもらった命で俺たちは、一生懸命生きていきます」
私たちは、人とのつながりの中でいまここに存在しています。そのことを再確認させてくれる場所、それがお墓なのです。