子がない世帯。娘しかない世帯。こうしたところでは墓守をしたくてもできないという現実的な問題が避けられません。大切なお墓を処分して、遺骨を永代供養にする人たちが増えているのですが、一方で永代供養を高々と喧伝するお坊さんには違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか。いま、多くの人たちが行おうとしている「墓じまい」と「永代供養」の違和感について迫ってみます。
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供養って、そもそもなに?
そもそも供養とは何を指すのでしょうか?その語源や意義は人によってさまざまな解釈があると思いますが、「この世に生きている人が亡き人のことを偲ぶこと」と言えば、多くの人たちが納得をするのではないでしょうか。
ですから、お墓の有無と、供養をするしないは、そもそも次元が違う話なのです。お墓がなくたっても供養はできます。もちろん、供養をより満足いくものにするためにお墓があるのですが、これ以上お墓を任せる人がいない状況で、そのお墓を元気なうちに片付けてしまうのは、責められるものではありません。大事なのは、形ではなく心なのですから。
● お寺への供養丸投げはあなたを不幸にする
しかしですね、この供養をすべてお寺に丸投げするのはよろしくないなあと思うのです。お寺に遺骨を預けてしまった段階で、重い荷が下り、故人への供養を主体的にしなくなってしまうおそれがあります。
「私たちがしなくても、お寺がちゃんとしてくれるから大丈夫」
こう考えるのはよくないです。なぜなら、亡き人やご先祖様は、あなたに供養してほしいと思っているからです。お坊さんと会話をしたいのではない。お坊さんとつながりたいのではない。あなたと会話をし、あなたとつながっていたいのです。
● お寺は、あなたと故人をつなぐ場所。供養するのは、あなたです!
だからこそ、お坊さん側も「あなたが元気なうちはきちんとご自身で供養するのですよ。毎日お仏壇に手を合わすのですよ。月に一度はお参りに来て下さいね」と伝えるべきです。
そのあたりがとっても不明瞭で、「なんとなくお寺に任せておけばいいのか」程度に受け取られると、何のための仏教、何のためのお寺、何のための供養なのか分からなくなってしまいます。
お寺はあなたと故人をつなぐ場所です。そしてお坊さんは供養の専門家です。
でも、供養をするのはあなた自身なのです! お坊さんはそのサポーターに過ぎません。だからこそ、お坊さんにも、その方の供養の主体性を奪わないでほしいと思います。
● お寺の永代供養はあくまでも最終手段
お寺の永代供養は、あくまでも、最後の最後の受け皿、最終手段だと思います。時代の流れや社会の状況から、墓じまいや永代供養が増えるのは致し方ないことです。
ですが、あなたの心の問題として、どうぞ、あなたが息をひきとるまでの間、大切な人やご先祖様への供養を忘れないでほしいのです。なぜなら、死者はあなたの心の中で生き続けているからです。あなたという存在は、死者とともにあるからです。
お墓の管理や維持、供養のことでお困りの方は墓守の会までご相談ください。お墓や供養のプロフェッショナルが、親切丁寧にあなたのお困りごとを解決いたします。