墓守コラム

自動搬送型の納骨堂に、死者への尊厳はあるのか?

ご先祖様の遺骨が眠る墓石を撤去することを墓じまいと呼びます。墓石とともに中の遺骨も処分するというわけにはいきませんので、墓じまいをする時には、必ず遺骨の引越し先を考えておかなければなりません。

昨今、新しい遺骨の行き先として選ばれているのが納骨堂です。しかしこの納骨堂を購入したはいいけれど、どうにも満足感や納得感が得づらいという人も少なくないようです。納骨堂という場所について、改めて考えてみたいと思います。

納骨堂、要はロッカー

納骨堂とは、要は骨壷を安置しておくためのロッカーです。もちろんただのロッカーではなく、そこにご本尊や位牌をお祀りして、手を合わせることもできます。

形状もさまざまで、「ロッカー型」と呼ばれる保管だけを目的とした形状のものや、「仏壇型」といって保管と礼拝を一緒にできるタイプのものもあります。

しかしいずれにせよ、納骨堂とはロッカーのような場所です。ロッカーとは鍵付きの戸棚や保管庫のことを指しますが、骨壷の状態で置かれる遺骨は、ロッカーの中の荷物のようです。土に還ることなく、ずっとそこにい続けるのです。

納骨堂だと遺骨は土に還れない

納骨堂だと、当然遺骨は土に還れません。ずっと納骨堂の中にい続けるのです。そして、子孫やお参りの人がいなくなると、お寺や霊園が用意する合葬墓に移されます。他の人の遺骨とひとまとめにしてに埋葬されるのです。

私たち人間は、本能的に自然回帰を求めます。大地から生まれたこの体を大地に還していくという本能です。

しかし、納骨堂だとこの本能に応えることができないのです。ここに言葉にできない違和感、物足りなさを感じる人が多いようです。

自動搬送型という合理性を求めた納骨堂のリスク

さらに問題を抱えるのが、自動搬送型の納骨堂です。東京や大阪などの都心部に見られるものですが、土地不足の問題を解消するために、ビル一棟をすべて納骨堂にしたものです。そして、礼拝の場所と遺骨の保管場所を分けて設け、お参りの人が来ると遺骨が自動のベルトコンベヤで運ばれてくるというもの。

表向きは「都心でもお墓が手に入る」「駅近」「屋内のお参りなので天気の心配が不要」などと謳い、一方で経営側の「都心部でお墓を求めている人に訴求できる」「わずかな土地でたくさんの遺骨を預かれる」などといったビジネス的な本音がうかがえます。

この自動搬送型納骨堂。一時はその斬新さんから話題になりましたが、大変な高いリスクを伴います。

遺骨はバックヤードに他の人の遺骨と並べて置かれており、それがベルトコンベヤで運ばれてきます。もしもシステムが故障したらどうなるのでしょうか。また、大地震で骨壷が転倒したら、誰が誰の遺骨かと判別できるのでしょうか。

自動搬送システムのメンテナンスには膨大な金額がかかると、ある建築家は指摘します。そのため、将来的な年間管理料の値上げが想像されますし、メンテナンスが行き届かずに建物や機械システムそのものの老朽化も避けられないでしょう。

そこに、死者への尊厳はあるか?

そして何より、ベルトコンベヤのバックヤードに押し込められた遺骨を想うと、ご先祖様が不憫でなりません。家族がお参りに来た時だけ機械で運び出されるなんて、死者への尊厳が欠けていると思いませんか?

日本の死者供養の文化は、死者への尊厳、つまり、もうこの世にはいない亡き人も存在していて、その存在を尊重するという前提の上に成り立っています。

完全に生きているものの都合だけで作られたお墓や納骨堂は、どうしても手をあわせる私たちに、違和感や物足りなさを残すのです。

高齢化社会や人口減少など、新たな社会問題に対応する弔いの形が問われています。墓石業界に求められるミッションであると同時に、手を合わすみなさんも、どうぞ自分たちによる供養をどのようにすれば、自分自身が、そして亡き人が喜んでくれるかを考えてみてください。

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