ある講演に参加した時に、講師の方がメモを取ることの大切さの中で面白いことを言っていました。
「メモを取る理由は2つあります。一つは忘れないため。もう一つは忘れるため」
この話を聞いた時に、わたしはすぐに「これはお墓のことを言っているのではないか」と直感しました。
つまりお墓も、故人を忘れないために建てるのであり、忘れるために建てるのです。
目次
霊園を「メモ」リアルパークと呼ぶ理由
よく霊園のことを「メモリアルパーク」と呼びますね。このメモリアルということばの中に「メモ」が隠されていることを、みなさんご存じでしたか? メモをもう少し分解して考えるとこのように整理できます。
メモ【memo】メモ・覚書 メモリー【memory】記憶 メモリアル【memorial】記念
メモって、結局は忘れないためにとるのですよね。
主婦の方が買い物でなにを買おうか考えていた時、「ああ、今日は卵を買わなくちゃ」と思いついた時、いざ忘れてしまうといけないからメモを取る。
会社でも、取引先から「次の打合せ、●月●日に変更して下さい」と言われた時、忘れてはいけないから、メモを取る。
そうなんです。メモは私たちの日常にあふれかえっているのです。
メモは、大切なことを忘れないためにとります。
メモリーカードだって、たくさん撮りためた大切な画像たちを忘れないため、なくさないために保存しておくものです。
メモリアルパーク、つまりお墓も、亡くなった人を忘れないためのものですよね。
ここまでは、ご理解いただけると思いますが、同時にメモは、忘れるためのものでもあるのです。
メモは、忘れないために、忘れるために
忘れるため?どういう意味でしょうか。
スーパーの買い物しなきゃいけないものをすべて頭の中に詰め込もうとしていると、頭の中はぱんぱんに膨れ上がってしまいます。これは会社の案件も、スマホの中の画像も、一緒ですよね。
何か別の場所にその情報なり記憶なりを移しておくことで、私たちは安心して頭の中をからっぽにできて、新しい情報を取り入れることができます。
つまり、メモは、忘れないためのものであり、同時に忘れるためのものでもあるのです。
わたしたちは、死者のことを忘れてもいい
毎日の生活の中に、死者を取り入れるのはとっても有意義なことです。亡くなったご先祖様と一緒にいるんだという実感は、私たちの生活を奥深くしてくれます。
私たちは、両親や祖父母、そこから連なるご先祖様のおかげでいまをこうして生きています。こうしたつながりを「おかげさま」として感謝することは、いまを幸せにするための大きな大きな秘訣なのです。
しかし、亡くなった人のことを年がら年中考えておくわけにもいきません。ご先祖さまを「よいしょ」っと背負って、毎日を生きていくのは、とっても大変なことでもあります。
だからこそ、遺骨を納めた場所にお墓を建てて、月に一回、年に一回だけでもお参りに行く。その時だけはご先祖さまを向き合ってあげて、元気な姿を見せてあげれば、あとは忘れてしまっていいのです。
日常生活を一生懸命送る時、ご先祖様のことを忘れてしまっていいのです。でもたまに、その存在を思い出すために、お墓があるのではないでしょうか。
具体と抽象の行き来 メモの魔力 お墓の魔力
メモとお墓のもう一つの共通点を述べておきますね。抽象的なものを具体的な形にしてくれるのです。
2018年に発売された前田裕二さんの「メモの魔力」という本は、メモを取ることで私たちの人生が幸せになると力説する50万部以上も売れたビジネス書です。
その中ではメモを取ることで、頭の中の抽象的な考えが具体化されていき、頭が賢くなると説かれています。
お墓も同じですよね。目には見えない供養や祈りを、目に見えるお墓という形に託しているのです。
かつて間違いなくこの世界を生きた両親やご先祖さま。実体がないからどこにいるのかわからない。私の体の中にいるかもしれないし、私の周りをふわふわしているのかもしれない。もしかしたらどこか遠くに行っちゃったのかもしれない。
でも、お墓に行けばご先祖さまに会える。仮にご先祖さまがそこにいなくても、お墓の前に来ることで、私のアンテナはご先祖さまに向いていく。
お墓とは、そういう場所なのです。亡き人の霊魂という目に見えないものを、この自然界でもっとも強固なもの、つまり形を実感できる石を用いて記念碑(=メモリアル)を建てて、目に見えるものにするのがお墓なのです。
メモの魔力、お墓の魔力。お墓は、忘れないために、そして忘れてもいいために、あるのではないでしょうか。私たちが毎日を幸せに生きていけるために。